ジブリ「コクリコ坂から」カルチェラタンとは?由来と場所についても

「コクリコ坂から」は、2011年に公開されたジブリ映画です。

この作品は1963年の日本を舞台にノスタルジックな雰囲気で繰り広げられる長編アニメ映画です。

本作に登場する港南学園の部室棟「カルチェラタン」ですが、

この建物はパリにある地名“カルチェ・ラタン”から名前をとられています

本来の名前は「清涼荘」なのですが、カルチェラタンと呼ばれる理由

また、名前由来とパリの“カルチェ・ラタン”場所についても深堀りしてみたいと思います。

ジブリ「コクリコ坂から」カルチェラタンとは?

カルチェラタンとは?

ちょっと慣れるまで言いにくい「カルチェラタン」は

明治末期に建築された建物です。

元々の名前は「清涼荘」

カルチェラタンの玄関右上には未だに各階ごとの部屋割りの名札が掛けられています。

明治末期に建てられた当初から終戦直後の頃までは旧制中学の寮だったようです。

この建物は文化系の部室棟になっていて様々な部活が活動中。

俊は「週刊カルチェラタン」という新聞を発行している編集部に所属しています。

カルチェラタンで活動している部

カルチェラタンでは、様々な部が活動しており個性的な部員がたくさんいます。

部活名を上げると

●哲学研究会

●現代詩研究会

●アマチュア無線同好会

●港南山岳倶楽部

●高等数学部

●古典音楽研究会

●哲学研究会

●科学研究会

●週刊カルチェラタン編集部

などなど

俊が所属している「週刊カルチェラタン」編集部ですが

当時は「ガリ版」という文字を削り手動で印刷をする手法で印刷していました。

簡単に言うと「版画」や「芋版」に近いのではないでしょうか?

小さい頃、消しゴムを彫って作ったスタンプみたいな感じのものです。

メルが怪我をした俊のためにガリ切りを手伝ったシーンが印象的でした。

由来と場所についても

カルチェラタンという名前の由来は?

「カルチエ・ラタン」とは、フランスのパリにある地名が由来となっています。

フランス語(Quartier latin)カルチエ・ラタンとは

カルチエ「地区」ラタン「ラテン語」のことで「ラテン語地区」という意味なのですが

これは当時、フランス語が一般的に使われておらず

ヨーロッパの各地から集まった学生たちが当時の国際共通語であったラテン語で会話していた為

カルチエ・ラタンは「ラテン地区」あるいは

「教養のある(ラテン語を話す)学生が集まっている地区」

という意味があります。

またカルチエ・ラタンは学生運動が盛んにあった場所でもあります。

1968年にフランス学生のデモ五月革命の舞台にもなった場所です。

そのため、「コクリコ坂から」でも生徒達がカルチェラタン取り壊しの反対運動を行ってる点が共通しています。

学生運動の共通点からから、この名称になったのではないでしょうか。

また「コクリコ坂から」のコクリコもフランス語です。

この映画にはその他にもフランスの要素が多く取り入れられているように感じます。

ちなみに、日本では1968年に東京神田駿河台の学生街で起こった解放区闘争は

「神田カルチェラタン闘争」

と呼ばれています。

フランス・パリのカルチエ・ラタンが学生運動のメッカであったことから、

解放区闘争が組まれた。東京都千代田区駿河台周辺は

「日本のカルチエ・ラタン」

「神田カルチエ・ラタン」

と呼ばれることもあります。

カルチエ・ラタンの場所

カルチエ・ラタンはパリの左岸、セーヌ川の南の位置にあります

趣のあるカルチエラタンは 5 区としても知られています。

パリ大学をはじめ名門高等教育機関が集まっており、学生街として有名です。

映画館や古本屋・カフェなども多く、活気に満ち溢れています。

パンテオンやサン・ミシェル広場など観光名所も多いエリアです。

近隣の建物

カルチェ・ラタンで訪れたいのは、18世紀後半に建てられた新古典主義建築パンテオン。

風格のある建物には、ヴォルテールやマリキュリーなどの偉人が埋葬されています。

 

他には、ナポレオン3世の第2帝政時代に造られ、豪華な噴水で有名なサン・ミシェル広場

 

また、歴史ある教会やカフェが建ち並ぶサンジェルマン大通りがあります。

まとめ

今回はジブリ「コクリコ坂から」で重要な建物カルチェラタンとは何なのか?

そう呼ばれる名前の由来と、パリにある地区「カクチエ・ラタン」について書いてみました。

最後までご覧頂きありがとうございました。

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