朝ドラ「エール」で祐一は慰問先の戦地ビルマに向かいます。
音楽で現地の兵士たちを勇気づけるためでした。
そのビルマのロケ地は、屋外ロケでテントやトラックを持ち込んで撮影されたそうです。
今回は、戦地ビルマのロケ地はどのような場所で撮影されたのか気になったので調べてみました!
また、ビルマからインパール作戦が始まるのですがこの作戦は
「世界で最も悲惨な作戦」
「世界で最も失敗した作戦」
とも言われています。
そのインパール作戦についても深堀りしてみたいと思います。
戦地ビルマのロケ地は、朝ドラではあまり見られないようなリアルなジャングルです。
屋外で撮影されたようですがどこで撮影されたのでしょう?
ビルマは現在のミャンマーです。
昔はイギリス領でしたが日本が侵略し日本領になります。
1989年に軍事政権によって「ビルマ」から「ミャンマー」へ国の名前が改名されました。
ミャンマーの人は仏教徒が大半を締めています。
あまり自己主張は強くなく、相手に敬意を持って皆で円滑に物事を進める人が多いです。
また手先も起用で真面目で勤勉な所は日本人に通じるところが多い国です。
さらに、イギリスからの独立戦争時に日本とともに戦ったことから日本びいきの人が多く、戦後初めて日本と戦後賠償を結んだ親日国家でもあります。
ビルマの戦地ロケは、リアルな戦場の雰囲気を表現するために屋外で行われたそうです。
朝ドラ史上、初めての本格的な戦闘シーンはサバイバルゲームで利用される森林公園で撮影されました。
ビルマということで、東南アジアらしい植物や戦時中の運搬用トラック、テントなどを持ち込み軍事考証に基づいて撮影されました。
具体的に、どの都道府県にあるサバイバルゲーム場なのか?
ですが戦場シーン(ドラマとはいえ人の生死にかかわる描写)ということで具体的なロケ地は非公開という措置がとられている可能性があります。
仮に「実際に行ってみたい」「見学したい」というのは難しいかなと思いました。
藤堂先生が補給部隊の隊長を務めたインパール作戦とはどのような作戦だったのでしょう?
「史上最悪な作戦」とも呼ばれるこの作戦を詳しく見ていきましょう!
1944年の3月から7月に行われた作戦。
簡単に説明すると日本軍による、イギリス領インドの攻略作戦です。
目的は援蒋ルート(えんしょうルート)を遮断することでした。
援蒋ルートとは中国国民党の蒋介石(しょうかいせき)を支援するルートのことです。
中国は当時、大きな国ではありましたが、物資が不足していました。
その物資をインドやイギリスから支援してもらっていたのです。
そのインドの東側にあるインパールとコヒマを侵略し援蒋ルートを遮断して中国を弱体化を狙ったのがインパール作戦です。
結論から言うと大失敗に終わります。
インパール作戦には9万人が動員され、6万人が戦地に向かいます。
しかし2.6万人が戦死、3万人以上が病気または病死します。
ですので5.6万人以上の人が戦死または病気になりました。
その失敗した理由は諸説あるのですが一番の原因は、そもそも作戦自体が無謀なものでした。
ミャンマーとインドの間にはチンドウィン川という大河があります。
この川は幅が600mもあり、渡るには半日位かかります。
また雨が降ると増水して流されてしまうほどでした。
この川を渡ること自体がかなりの難関でした。
またインパールへたどり着くには川を渡った後
アラカン山脈(2000m級)という日本アルプスぐらいの高さがある山を超えなければなりませんでした。
武器や食料などの荷物を持ち徒歩の移動では、かなりハードルが高かったのではないでしょうか。
また、日本はミッドウェー海戦で惨敗し、その後も負け続けていため深刻な食料不足と武器不足になっていました。
そのためインパール作戦にも補給が追いつかず戦局は悪化していきました。
結局、日本軍はインパールに誰一人たどり着けることができず最終的には戦果は上げられず撤退することになります。
今回は朝ドラ「エール」で祐一の慰問先の戦地ビルマロケ地について調べてみました!
ビルマの戦地は実際、屋外ロケでセットを作って撮影されました。
朝ドラ史上では初めての本格的な戦闘シーンは、サバイバルゲームで利用される森林公園で撮影されました。
また、インパール作戦は必要物資を無視し精神論を重視したずさんな作戦により
戦死者よりも飢えやマラリアなどの病気で亡くなる人が多かったため「史上最悪な作戦」とも言われています。
しかしながらこの失敗はビジネスにも応用でき学ぶことが多くあります。
大企業にありがちな曖昧な意思決定や現場の声を無視するといった事を行うと物事がうまく進まないなど似ている所があると思います。
失敗の原因をフォーカスすることは今のビジネスマンにも参考になるのではないでしょうか。
最後までご覧いただきありがとうございました。